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2018-07-01

五稜郭






安政4年に武田斐三郎の設計によって着工し元治元年に完成した西洋式城郭。
桜の名所としても有名ですね♪

10月26日(12月9日)に裏門から入城



七重村、川汲峠と敗退した箱館府は勝ち目が無いと判断し前日に汽船で青森へ。

もぬけの殻になった奉行所内には泥棒に入られた形跡があったとか。
無血入城しおまけに箱館府が弘前藩から購入していた兵糧庫の三千俵の米もゲット★


今も現存している兵糧庫の内部


米はもうありませんでした(←)



復元された箱館奉行所
中は資料館になっている。


この部屋のどこかに負傷したイバハチが‥‥!!
部屋の場所がいまだに特定できず。
台所か?女中部屋か?←
同じく負傷した陸軍隊の春日左衛門と相部屋で養子の田村銀之助が看病していたっていうんだから肩身が狭くて仕方が無かったろうに。イバハチが早く戦場復帰したがっていた理由のひとつだったりしてw
色んな噂があるからね。だって養子にした理由が(自主規制)
銀ちゃん美少年だったらしいし仕方が無い!
そんな春日さんが埋葬されたというのが五稜郭の表門から北東方向の土塁に埋葬され大正15年にご遺族の元へ帰っていきました。


そして未だに帰る事の出来ない永遠の迷子。伊庭八郎君は大正7年頃の調査で表門より南西方向の土塁に埋葬されたと伝わっています。(諸説有り)
だとしたら迷子じゃない?遺骨は何処へ?
‥‥はい。迷子ー。
だから!あれほど!!迷子札は肌身離さず持ちなさいと‥!!!←誰

死因も諸説ありますがモルヒネ服毒説が有力みたいです。
命日も5月12日と墓石には刻まれていますがこれも諸説あるようで。
ごたごたしていた時期だから色んな人の色んな記憶が混濁してしまっているのでしょう。
有名な話の一つに「八郎君の墓は函館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍らにあり」とあるのですが‥あの、何と言うか‥ありがとうございます!!←

でも歳さん、別の場所に埋葬された説も多々あるんだよね。

何年か前に五稜郭に行った時にボランティアガイドのおじさんと話としていたのですが
「何年もここでガイドしているが伊庭八郎が好きな人と会ったのは初めてだよ」
といわれたのが衝撃過ぎて‥確かにまわりに知っている人居ないし知名度低め(←)だけど初めてって!!!
今は某乙女ゲームとかにも出てきて少し知名度上がってきていると信じています。

■函館市五稜郭町44


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